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ふくらんだ袖。 絹の靴下。

「ふくらんだ袖」は、村岡花子先生訳の「赤毛のアン」に、「絹の靴下」は、「あしながおじさん」に登場するアイテム。

「赤毛のアン」に「ふくらんだ袖=パフドスリーブ」という言葉が登場するシーンは二回。
グリーンゲイブルズに暮らすことになったアンに、マリラが3着の「実用的な」服をこさえてくれた時
アンが(がっかりした気持ちを抑えてひかえめに)「3着の中の1着でも、今流行りのふくらんだ袖の服だったらうれしかった」と言ってしまい、マリラを憤慨させてしまう。

季節がすすんで、無口で人と関わらないマシュウが、勇気をふりしぼってアンのために、
音楽会の時のお洋服にと、袖のふくらんでいてレースの飾りのついた茶色い絹のドレスを注文してアンにプレゼントする。
アンはたいへん喜ぶというエピソード。

「あしながおじさん」では、ジュディ・アボットが寮生活の中で、お金持ちのお嬢様のジュリアの履いている絹の靴下が気になって、おじさんからもらってるお金の中から調達し、ジュリアの眼の前で絹の靴下の脚を組んで座って自尊心を満足させた後、手紙でそのことを恥じるというエピソード。

どちらも共通するのは
「孤児院育ち」で、被服に恵まれない少女時代を送ったということ。
恵まれなかったからこそ、新しい「コミュニティ」の中で、彼女たちの服装の憧れがかなうエピソードが輝くのです。

私は「ファッション」に、はるか縁遠い母とそしてその人生を「ファッション」にまみれさせた叔母にはさまれて幼い頃を過ごしました。

母はいまだに自分では服もバッグも選ばず、人のお下がりばかり着て、ほっておくととんでもない組み合わせの服装で外出します。
叔母の日常使う化粧品は最新で、機会があって私に選んでくれたスカーフやスカートは、その頃の私にはびっくりするくらい高価でしたが(選んでくれただけです、お金を援助してもらったわけではない、そこも叔母らしい)コーディネートが引き立つ、とても良いものでした。

ファッション偏差値が低いのはわかっていたので、少なからず努力してしました。
色、形の選別
そして、小物
バッグは「物入れ」ではないこと。
靴と髪、爪先。細部をきちんとすること。
夏の必需品のハンケチ、扇子。日焼け止めに、日傘。香水。
女でいることにはお金と手間がかかりますが、楽しいことでした。今でも楽しい。

そして、「流行」という訳のわからない空気。

新しい空気を取り入れることは、可能性を広げるということかなと思ってます。

新しい空気を受けいれるか諦めるか、ぎりぎりの年齢をむかえましたが、「美しいな」「素敵だな」と思える気持ち、感受性(?ってやつかな)とを鈍らせることなく生きていきたい。

いろいろと鈍っていくけれど、新しいことを体験したり、理解したりすることで、感受性は維持できる。そしてまだ残る自分のポテンシャルをひらく機会になると信じるからです。

中でも、比較的簡易に感受性を刺激する「ファッションの流行」に対して敏感でい続けることはやめられないな、と思っています。

心にアン・シャーリーとジュディ・アボットをひそませて、今日も明日の天気予報を勘案して「どの色の靴を履くか」から服の組み合わせを迷うのです。




by tanakahii | 2016-05-05 21:10 | 読書日記